価値をつくるコンセプト
企業にとって使ってほしい、利用してほしい人から見た価値を理解することは重要ですよね。
そのために自社のビジネススキームから価値を再発見できないか確認してほしいです。
そして、価値の明確化に向けたコンセプトワークをしてほしいです。
自社の価値の再発見
経営は売上 - 費用 = 利益
この利益を長期的に出していくことになります。
でも、続けていくことはなかなか難しい。行き詰まる前に、自社はなぜ売れていたのか?なぜ売れなくなったのか?
顧客から逆算して要因を探ってみませんか。
・顧客からのヒアリング
- ニーズの変化 - 商品・サービスの質の低下 - 競合商品・サービスの質の向上
・自社内の各部門からのヒアリング
まずは要因を徹底的に洗い出してみませんか。
ことづくりの大切さ「小ざさ」1
1年で3億円販売するお店がある。
しかも1坪
しかも商品は羊羹と最中の2種のみ。
坪単価の売上は日本一と言われるお店「小ざさ」
吉祥寺の現店舗に店を構えて65年になる。
このような企業から”ものことづくり”に活かすヒントが見えるくる。
ものづくりの追求
現店主の稲垣篤子氏曰く、「羊羹」は初代で父の伊神照雄氏が全国の羊羹を研究して作り上げた芸術品。
先代から味を受け継ぐには大変な試行錯誤と毎日の努力が必要、めちゃくちゃ努力をした。
材料は小豆と砂糖と寒天のみ。シンプルが故に奥が深く、この味を出すため毎日の作業に集中して丹精込めてつくる。
先代から引き継いだ後も、毎朝、先代と羊羹の試食を行った。試食の度に「もう人練り」「対角線の中心を探せ」「四つの交点(味)を掴まえろ」など一言、二言だけ、「これでいいとは」一度もなかった。
しかし。そんな時、ある時から風が見えはじめた、ある時から澄んだ炭の炎の力強さを感じられた、ある時から、小豆を練っている時に「紫の一瞬の輝き」が見えた、とのこと。
その後の先代への試食は「うん」と言って、あまり言葉を言わなくなったそう。
そして伊神氏が亡くなる前日に「ようやったの、これからは自分の思うようにやりなさい」と。この時、稲垣さんは60歳。
伊神氏、稲垣氏ともに、羊羹作りが好きなこと。そこに全ての情熱を注げること。
そこから本物が生まれる。
1年で3億円販売するお店がある。
しかも1坪
しかも商品は羊羹と最中の2種のみ。
坪単価の売上は日本一と言われるお店「小ざさ」
吉祥寺の現店舗に店を構えて65年になる。
前回に引き続き、ことづくりの視点からブランディングを紐解く。
ことづくりの視点
良い商品の価値をどうやって顧客へ提供するか?
「本物だからできる差別化」「時代を見る目」
売られているのは、「羊羹」と「もなか」のみ。
しかし、「もなか」と「ようかん」が売られるようになったのは1954年(昭和29年)に現在の場所に移転してからだという。創業当時じは、団子などの朝生が売れていた。それを移転を機にスパっと止めて和菓子の究極と言われる「羊羹」をメインにした。
究極の羊羹を研究していたこともあるが、商圏を広げるということも考えていたとのこと。「羊羹」や「もなか」だと日持ちして進物にできるので、武蔵野以外からも買いに来るお客様が増えると当時考えたそう。また贈答品は自分で食べるだけでなく、客層を広げられる商品ということも意識していたそう。
そして立地。現在の立地を確保するために相場よりもかなり多い金額を積んで確保したそうだ。
常に先代社長は時代を読めと現社長の稲垣篤子さんに言っていたそうだ。
「変えるところ変えないところ」
商品づくりはもちろん、仕入れ問屋も変えず育てる。
材料費が上がっても限界まで値上げしない。
従業員でも行列に並ばないとならない。紙包装は変えない。もなかの包装は天然の木材由来の防湿セロファンを使用しいる。一時はポリプロピレンに切り替えたらどうかという業者のススメもあったが頑として変えなかった。
但し、1個販売、3個販売、餡と白餡のミックス販売や手持ち箱等は早くから導入した。
「接客」様々なお店を見て研究
「ありがとうございます」「いらっしゃいませ」も真心を込める。
やたらと声を掛けてはいけない。つま先がちょっと店の方向に向いから声を掛ける。
店を道路より低くつくって寄りやすくする。
ちょっとした隙をつくる。
店の空気を澱ませない。従業員は突っ立っていないで動く。
「地域貢献」
28年前から障害者の受け入れ。しかも補助金を受け取っていない。
「口コミ」
創業者 故 伊神照男氏が1970頃に雑誌に取り上げられてから注目されるようになったようです。その頃から行列ができるようになり、今日まで途絶えない。本物が口コミされると、広告など必要なし。行列がPRになる。
伊神氏は芸術家との親交があり、吉祥寺の「ナナン」というたまり場に出入りしていた。
日本の創作版画の草分け「織田一麿・おだかずま」が包装紙を画く。「山本嘉次郎・やまもとかじろう」映画監督がいまわの際に食べたい、と。文化人から口コミされマスコミに取り上げられ、地域の人が行列し、全国からも買いに来る。
よって
人脈がPR効果を生む(販促)
時代を先取りする予感をつかむ。
変わるところと変えないところ
「父が築いたDNAを受け継ぎ、時代に合わせながら次代につなげていくこと」
それをやり続けられることが
行列ができてもブームで終わらせない。
それが小ざさのことづくりだと思う。
「ブランドは死なない」
3/14日経MJより
最近のカップヌードルのCM、私のようなおじさんには、なかなか理解し難いものがある。
「犬神家の一族」をモチーフにしたCMはまだしも、佐藤健が謎肉のいん石になったり、
ロボットを操縦したりのドタバタ劇は?と感じてしまう。
かつてミスチルの音楽にあわせたノーボーダーのような壮大さはない。
トップブランドの戦略の意図は?
日清食品ホールディングスの安藤宏基社長は「それでいいのだ」と言う。
安藤社長自身、これらのCMを見てもまったく面白くない、理解できない、と言う。
では、なぜそれでよいのか?
それはターゲットが違うのだ。
これらのCMはもっと若い層に向けて訴求している。
ターゲティングで言えば、若年層に当てられている。
サラリーマンではなく、中学生・高校生・学生をターゲットにする。
なぜカップヌードルはそのようにしたのか。
それは100年生き続けられるブランドにするためである。という。
1971年発売のカップヌードルは路上でホークで食べる斬新さが、当時の若者のライフスタイルにはなり大ヒット。
当時の若者が今でもカップヌードルのヘビーユーザーである。
しかし100年ブランドを目指すには新たな顧客を開拓し続けなければならない。
そこで前出のCMに舵をきったのである。
当然、ヘビーユーザーが離れるかもしれないというリスクはある。
しかし100年ブランドをの多くは、そうしたリバイバルを繰り返してきた。
リスクと隣りあわせの決断が100年ブランドには必要なのだと思う。
「直感がもたらす毎日へ。」
日本経済新聞、3/4付朝刊にMINI CLUBMAN全15段の広告が出ていた。
MINIは皆さんご存知の通り、現在はドイツBMWの傘下の企業である。
その広告は機能面を一切語っていない。
広告コピー
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理想の人生を走る、大人へ。
趣味を愛する。
それ以上に、家族を愛する。
通勤時間を、プレミアムなひと時に。
ゴルフコースの外でも、
洗練された紳士でありたい。
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エモーショナルな側面のみで表現している。
ホームページを見ると
「直感」をキーワードに訴求している。
http://cp.mini.jp/clubman/lifestyle
エモーショナルを全面に打ち出した構成でMINI CLUBMANを乗ることによって
ユーザーが得られるマインドを表現している。
そしてラゲッジスペースのバンパー下に足を入れるとドアが開いたり、
ナビゲーションシステムの操作性だったり、機能面が訴求されている。
MINI CLUBMANの大人の男性
それは、自分の理想に近づこうと歩んでいる大人
趣味を持ちながら家族を優先する大人
上質を好む大人
振る舞いに余裕のある大人
=
プレミアムなイメージ
NEW MINI CLUBMANのイメージ作り。
ブランディングは送り手側の想いを受け手がどう感じるか、
分かりやすくイメージしてもらえるかが重要。
FILTER LLC.
3-11-3 Ginza, Chuo-ku Tokyo